Convento de San José
Sei Yosefu Shudoin
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聖ドミニコの九つの祈り

はじめに

鎌倉時代に源氏が幕府政治を樹立した頃、スペイン・カレルエガではドミニコ・デ・グスマンが生まれた。ドミニコは貴族の子弟であったが、司祭を志して勉学のために留学した。パレンシア大学において神学の勉強を終え、オスマ教区に住み、そこの司教座聖堂で八年間働いた。1205年、外交上の使命を受けて司教ディエゴ・デ・アセベドと共にデンマークへ旅をした後、フランス南部にドミニコはいた。その地方の教会の事情はなげかわしいもので、信者たちの間に秩序とキリスト者に相応しい生活を立て直すために派遣された教皇使節の努力も空しく終わったことが、ドミニコをして使徒的説教と勉学を目的とする新しい修道会を創立するに至った根本的動機であった。ここにその修道会の公式名称が説教者兄弟会(一般にはドミニコ会)と呼ばれる訳がある。ツールーズ(フランス)において聖ドミニコのまわりに集まった小さい人々の集まりはすぐに大きくなった。1216年、ドミニコは自分の創立した新しい修道会の認可を教皇ホノリオ三世から受けた。会の創立へ励ました聖霊動かされて、ドミニコは直ちに兄弟たちを世界の各地へ派遣した。

ヨーロッパに生まれた新しい社会状況を完全に把握していたドミニコは大都会に設立され始めた初代学に兄弟たちを派遣し、諸大学と協力して教会が説教を通じて対決しなければならなかった新しい社会秩序を想像しようとしたのである。何人かの兄弟は勉学のためにパリ大学へ、他の何人かの兄弟は説教のためにスペインへ派遣された。ドミニコは疲れを知らずに説教者として、また指導者として働き、1221年に帰天した。

しかしながら、彼の生涯はただ「する」だけではなかった。列聖調査に呼ばれたすべての証人が口を揃えて証言したのは彼が人に抜きんでてすぐれた祈りの精神の持ち主であり、これこそ聖ドミニコを飾るものだということであった。事実祈りに対する熱心さはすべての人に勝っていた。彼の祈りは深い観想に生きている人間の経験と言えよう。彼の全存在は神から来る光で輝いており、神のみの前に、かつ神と深く一致して生きている印であり、反映であった。聖ドミニコの祈りは全く聖書的であった。それはただその燃えるような心から出る言葉についてばかりでなく、その行ない、姿勢、礼、平伏、ひざまずき、修室における沈黙のうちで、あるいは宣教旅行中での読書についてでもである。彼の心はまさしく絶え間ない祈りというべき心の状態を持ちつづけるために射祷という方法で絶え間なく神に向かって揚げられていた。歴史家達は彼の祈りの生活について三つの基本的態度を述べている。謙そんな礼拝、罪の痛悔と神のあわれみに対する喜び。

福者ヨルダンは彼について正しく述べている。「実り豊かなオリーブのごとく、天にそびてる糸杉のごとし。夜となく昼となく疲れを知らず祈りのうちに過ごした」。「聖ドミニコの祈り方」(著者不詳 およそ 1260-1288年)は彼の精神をより良く知るために役立つであろう。最もすぐれた写本は彩色のすばらしい挿絵がついており、ヴァチカン図書館に保存されている(Codex Rossianus , 3)もので、14世紀から15世紀のものである。日本語に翻訳することはつねに地の果てに福音を伝えることを望んでいた聖ドミニコ・デ・グスマンに対する尊敬の印になり、またすべてのドミニコ会員、信者の方々、そして常に祈りをもって宣教している人々にとってもよき模範となろう。

Fr. Pedro Blanco O.P.
Fr. Ignacio R. Cobreces O.P.

序文

聖なる教父たちアウグスチヌス、アロンプロシウス、グレゴリウス、ヒラリウス、イシドルス、ヨハネス・クリソストムス、ベルナンドや他のギリシア教会とラテン教会の教会博士たちは祈りについて広範な研究をしており、勧めかつ説明し、どれほど重要で有益であるか、どのように準備するか、生じて来る邪魔なものをどのように取り除けるかを話している。彼らのほかに、有名なそして尊敬すべき兄弟トマス・デ・アキノ、兄弟ギジェルモは神徳について述べた説教のなかで高貴にして聖、信心深く美しい祈り方法を説明している。(1)

しかしながら、ここで述べることは霊魂が神に向かって心を揚げるために信心深く身体を理用する祈りの方法である。それゆえ、身体に動きを与える霊魂が次の場合には身体によって動かされる(2)、たとえば、聖パウロのように脱魂状態に陥ったり、あるいは私たちの救い主のように苦しみ悩む状態になったり、あるいは預言者ダビデに起こったごとくうっとりした状態となる。幸になるドミニコも度々この様な状態で祈っていた。

旧約および新約時代の聖人たちは度々このように祈っていたことが知られているが、それは霊魂が身体に、そして身体が霊魂におよぼす相互作用が信心を刺激するのである。そのように祈っていた時、聖ドミニコは励まされ、彼の自由意志があまりにも激しい情熱で燃えていたので、体の四肢がある印によって内的信心を現わさずにはおられず多くの涙を流した。このように時々精神が高揚されて、願い、嘆願や感謝の祈りを捧げていたのである。

(1)Guillermo Peraldus, Summa de Vittis et Virtutibusの著者で1250年頃
(2)Summa theologica, 11-11, q.83, a.12
(3)コリント後書 12,2

 祈りの第一の方法は祭壇の前で恭しく身を屈めることで、それはあたかもキリストが象徴的ではなく、実際に祭壇上に現存しているかのごとき態度であった。(1)聖書は「謙遜な人の祈りは雲を貫く」(2)と述べている。聖父は時々兄弟たちにユデット書の一節「神よ、あなたはへりくだる者の神、虐げられる者の助け、弱い者の支え」(3)を引用した。彼の謙遜に関してはカナアンの女や放蕩息子のたとえ話を聞くとよい(4)。同じく「私はあなたを我が家にお迎えするに相応しくない者です」と繰り返していました(5)。そしてさらに「主よ、私の心を深くへりくだらせてください。なぜなら私はあなたの前に完全にへりくだっておりますから」(6)と祈っておりました。それゆえ聖父は立って頭を下げ、心はキリストの偉大さと奴隷に過ぎない自分の状態を考え、キリストの前に謙虚に頭をさげて崇拝を示しながら自分のすべてを捧げていました。兄弟たちにキリストの謙そんを示す十字架の前を通る時には必ず頭を下げるように教えていました。それは私たちのためにこれほどまでにへりくだったキリストがその偉大さの前にへりくだる私たちを見てくださるためである。同じく兄弟たちに教えたことは至聖なる三位一体の神のみ前でも同様に謙そんであること、常に「栄光は父と子と聖霊に」と荘厳に唱えることでありました。このように彼の祈りと信心の始まりは深く頭を下げる姿勢が示すものであった。

(1)この頃聖体は祭壇に安置していなかった
(2)シラの書 35,17
(3)ユデット 9,11
(4)マテオ 15,25
(5)マテオ 8,8
(6)詩篇 119,107

 時々、至福なるドミニコは地に平伏し、顔をつけ、心に痛悔をおこし、我身をとがめながら祈っていました。ある時は聖書の言葉をよく理解できるために大きな声で話していました。「おお、神よ、大罪人である私にあわれみを」(1)。そして敬謙と尊敬をこめて次のダビデの言葉を繰り返す:「私は罪を犯し、悪を行いました」(2)そして激しく嘆息して泣きながら:「私は罪の多さゆえに天のいと高きところを見るに値しません。なぜなら私はあなたの怒りを招き、あなたのおん目の前で悪を行いました。」(3)。またある時は「おお、神よ、私のこの耳でそれを聞きました」という詩篇の一句を力強く、信心深く唱えていた。その句は「私の魂は塵にまみれ、私のはらわたは地につく」(4)。あるいは次の言葉:「私の魂は塵にまみれている、あなたの言葉に従って生かせてください。」(5)。ある時はどれ程の尊敬をこめて祈るべきかを兄弟達に教えるために「博士たち、あの信心深い王たちは家に入り、母マリアとともに幼児を見、平伏して拝んだ」(6)。我等もまた今そのはしためマリアと共にいる人間であり神である方に出会っている:「さあ、入り、我等のためにそうなさった神のみ前に平伏そうではないか」(7)。次の言葉で若者たちを励ました:「あなたたちの罪のために泣くことができないとすると、罪がないのであろう。しかしあわれみと愛をもたらす罪人のなかに数えられることを考えなさい。預言者や使徒達は彼等のために悲しみ、イエズスもまた、彼等をみて、彼等のために悲痛な心で泣きました。ダビデ王もまた彼等のために泣きながら叫びました。”あなたの律法を捨てた不義者に対して怒りが私を襲った”」(8)。

(1)ルカ 18,13
(2)2サムエル 24,17
(3)2歴代詩 33,18
(4)詩篇 43,26
(5)詩篇 118,25
(6)マテオ 2,11
(7)詩篇 95,6
(8)詩篇 119,53

 こういう訳で、また前述したことの続きとして、彼は立ちあがり、次の言葉を言いながら鉄の鎖で鞭打ちをしていた。「あなたの右腕は私を支え、あなたのご保護が私を高めた」(1)。このような訳で、全ドミニコ会において次の習慣ができた。すなわち、兄弟たちは聖ドミニコの模範にならって週日は寝る前の祈りの後、柳の枝で裸になった肩を鞭打ちながら、同時に心をこめて詩編ミセレレ(2)か詩篇デ・プロフンディス(3)を唱えるのである。この償いの業は自分の罪かあるいは自分たちの生活を支えてくれる恩人たちの罪を償うためになされていた。たとえ罪のない人でも、唯一人として、この聖なる模範を真似ることから免除されていないのである。

(1)詩篇 18,36
(2)詩篇 51
(3)詩篇 130

 聖ドミニコについて話を続けてみよう。彼は祭壇の前や集会室では十字架像に眼差しをむけ、二度三度、いや百度もひざまずき、誰も真似することのできない深い観想にひたっていた。

 「主よ、お望みならば、私を清くすることが出来ます」(1)と願ったあの福音書にでてくるらい者、あるいはひざまずいたままで「主よ、どうぞこの罪を彼等に負わせないでください」(2)と大声で叫んだ聖ステファノをまねて、寝る前の祈りが終わってから真夜中まで寝ずにひざまずいたままで過ごした。その時われらの聖なる父ドミニコに大きな信頼感でみたされた。それは自分のため、罪人のため、説教のために外へ派遣した弟子達を保護していただくため神のおんあわれみに対する信頼であった。その叫びを押えることができなかったので、兄弟たちは「わが神よ、あなたに叫ぶ、わたしに黙っていないでください、あなたの沈黙の前にあたかも深みに落ちた者のごとくにさせないでください」(3)や、あるいはそれに似た他の聖書の言葉を唱えているのをきいた。

 しかしながら、ある時はあたかも脱魂状態にあるがごとく長い時間ひざまずいたままで、心の中で話し、ほとんど誰もその声を聞きとることはできなかった。ある時は不意に喜びに満たされてそのほおを伝って流れる多くの涙の乾くに任せて、心は天へ飛びさっているかのごとくに見えた。乾ける者が泉にたどりついたように、あるいは巡礼者がやっと自分の家に近ずいたごとく、その時の彼は大きな希望で満たされていた。

 立っている時もひざまずいている時も常にその慎重さを保ちながらも、その身のこなしかたの迅速さからうかがえるように、彼の活発さと熱情は大きく成長した。ひざまずくことが全く習慣になっていたので、道中でも宿屋でもその日の疲れや旅の疲れで他の者が寝たり休憩したりしている間、彼はあたかも特別な技か、あるいは個人的奉仕をするようにひざまずくのであった、行ないや言葉よりもこの模範が兄弟たちにこの祈りの方法を教えたのであった。

(1)ルカ 5,12
(2)使徒 7,60
(3)詩篇 28,1

 修道院に居る時、聖ドミニコは祭壇の前で何かにもたれたり、支えられたりすることなく、直立不動で立ち、胸の前で両方の手をあたかも開いた本のごとく広げた。祈っている間、まるで見える神の前で本を読んでいるごとく、深い尊敬と信心をこめて、神のみ言葉を黙想していた。ある時は神のみ言葉を口の中で味わっているように見えたが、それを自分のために唱えることによって楽しんでいるようであった。何故なら聖ルカ福音書の中で「イエズスはいつもの通り、安息日に会堂に入り、本を読むために立たれた」(1)とあるように、主のなさったことを自分の習慣としていたからである。詩篇は「ピネハスは立ち上がり、祈った、そして災害は治まった」(2)という。ある時は目のまえで両手を固く合わせ、身をかがめていた。ある時は司祭がミサを捧げる時のように、肩の高さまで両手を挙げて、あたかも祭壇から来る何かをよく聞き分けるかのように耳をすましているようであった。祈りの間信心深く立ち尽くしているので、まるで一人の預言者が自分に啓示されたことを聞入り、あるいは話し、あるいは静かに黙想しながら天使かあるいは神と会話をしているように見えた。

 旅に出た時は、誰も気づかなかったが、彼は精神を統一して天に心を挙げて祈るために時間を見つけるのであった。その時こそ、救い主の泉そのものから汲みとられたかのように、聖書の神髄と豊かさから取られた素晴らしい言葉を、甘美に繊細に彼が繰り返し唱えているのをあなたがたは聞くべきであろう。

 この模範の証人である兄弟たちは父であり師である人を見ることによって感化され、この美しい祈りを唱えることを学んだのである。「しもべの目を主人の手に、しもべの目は女主人の手に注がれるごとく、私達の目には私たちの神に」(3)。

(1)ルカ 4,16
(2)詩篇 105,30
(3)詩篇 122,2

 聖なる父ドミニコには立って、出来る限り両手両腕を伸ばして十字の形になって祈る姿が見られる。ローマにいた時、サン・シクスト修道院の香部屋でこの祈り方による取つぎによって、主は一人の青年ナポレオンを死より復活させられた。その場に居合わせた信心深いそして聖なる修道女セシリアが語るところによると、同じ時に教会で彼がミサをささげている間、地面から揚げられているのが目撃された。エリオス又はエリアがあの寡婦の息子を復活させた時と同じように青年の上に自分の体を伏せた(1)。同じく、ツールーズから来たイギリス人巡礼者たちを溺死の危険から救った時も、同じ方法で祈ったのである。

 この敬謙な行為によって彼の祈りが聞きいれられた時、十字架にかけられた主に向って両手と両腕を伸ばし、大きな叫びをあげ、かつ泣きながら祈るのであった(2)。聖なる人、ドミニコがこの方法で祈ることは滅多にはく、ただ神の霊に導かれ、ある重大なそして不思議なことが実現できると知った時だけであった。彼は兄弟たちにこのような方法で祈ることを禁じることはしなかったが、勧めることもしなかった、そしてあの青年を復活させたとき、立って両手と両腕を伸ばして祈っていたが、なにを言ったのかはしられていない。しかし、多分エリアの言葉を繰り返していたと思われる:「主よ、どうかこの子の魂を彼の中に戻してください」(3)。この奇跡を目撃した人々はこの祈り方を覚えていたが、彼等のうちの誰も、修道士も修道女も枢機卿も、そしてこの未知の不思議な祈り方を近くで見ていた人々のうち誰も彼が口にした言葉を理解できなかったし、聖にして驚くべき人、ドミニコが精神集中しており、近寄りがたく見えたので、誰もこのことについて尋ねなかったのである。

 しかしながら、時々この祈り方を示唆する詩篇のテキストをゆっくりとそして注意深く唱えていた:「私の神よ、あなたに手を差し延べて、終日あなたを呼び求めます」(4)や「あなたに手を差し延べて、私の魂はあたかもあなたを渇き求める地のごとし、主よ、はやく私に答えてください」(5)。

 この祈りの形によって、信心深い人なら誰でも彼の敬謙さと教えがどのようなものであるか理解できる。この祈りによってあたかも神の許へ運ばれていくように思われた。いや、むしろ、自分のためか、あるいは人のために特別な恵みを願うように神の霊感に導かれて、その姿の中に観察しうるごとく、ダビデの言葉、エリアの火、キリストの愛徳をそして神の愛をもって奉仕しようとして、そうする必要を感じているように思われたのである。

(1)2列王記 4,34
(2)ヘブライ 5,7
(3)1列王記 17,21
(4)詩篇 88,10
(5)詩篇 143,6-7

 あるときは祈っている間、まるでひきしぼられた弓から放たれた矢のように彼が天に向かって揚げられるように見えた。両手は頭上に上げられ、かつ伸ばされていて、天から何かを受け取るかのように合わされ、あるいは少し開かれているように見えた。このような時には彼に恩寵が増して、脱魂状態になるのであった。

 そして彼の懇願によって創立されたばかりの修道会のために聖霊の賜物を、自分と兄弟のためには山上の垂訓を実践するにあたって甘美さと喜びを神から載いて、会員のすべてがより完全な清貧においても、涙の悲しみや迫害の暴力の中にあっても、正義に対する激しい飢えと渇きや憐れみへのもだえの中でも幸せな者だと思えるためであり、また神の十戒をまもり福音的勧告を遵守することに幸せを感じるものになるためであった。そのような時に聖なる父は精神において諸聖人の中の聖人の位置に、あるいは第三天に引き揚げられたかのように見えた。この祈り後では、事を正すにも、免除するにも、あるいは説教するにも何か預言者的なものを感じさせた。聖なる父は長時間このような祈りの中に止まることはなかった。そして我に返った時、その姿や表情から察するところ一人の巡礼者が遠くからやって来たごとくであった。

 あるときは高い声で祈るので、兄弟たちはその言葉を聞き取ることができたが、それは預言者の述べたように:「主よ、あなたに向かって叫ぶ時、あなたの聖なる住まいに私の手を差し延べるとき、私の願いの声に耳を傾けて下さい」(1)。そして、その模範と言葉によって兄弟たちに次のように祈るように教えた:「すべて仕える者よ、主をほめよ、毎夜聖所に向かって手を高く上げ、主をほめたたえよ」(2)。または「主よ、私はあなたを呼び求める、あなたを呼び求める時、私を助けに来てください、私の声を聞いてください、私の手を高く上げるのは午後捧げられる犠牲のよう」(3)。これまで述べたことをよく理解するためにそれを表す絵を見ていただきたい。

(1)詩篇 28,2
(2)詩篇 134, 1-2
(3)詩篇 141,1-2

 聖なる父はもう一つ祈る方法を持っていた。それは信心深くまた親しみやすいものである。政務日課の後や食後皆で唱える感謝の祈りの後で常に控え目で敬謙な父は歌隊席で歌われた歌や食堂で朗読された神のみ言葉に浸るために孤独な場所、修室かあるいは祈りや読書に適した所にすばやく引込もり、自分自身と神のおん前に潜心して、静かに座り十字を切った後、聖書を開き読んでいた。彼の魂はあたかも主と話しておらるかのように感動していた。それは詩篇が言う通りである:「神が話されることを聞きたい」(1)。その時、まるで友と議論しているように、少しの間ははげしく頭を動かしてもどかしそうに見えたが、その後静かに聞き入り、時にはその言葉や考えが受け入れられないかのように再び議論をしているように見えた。

 笑いと涙が交互に入りまじり、眼差しを上げてはまた下ろし、新たに低い声で話したり、胸を叩くのであった。

 もし誰かの好奇心のある人がそっと聖なる父を観察したとしたらモーセのように思えたに違いない。モーセのように砂漠に入りホレブ山に着いて、燃える茨を観想したり、また地に平伏して神が話されたことを聞いているように見えた(2)。神の人は読書から祈りへ、黙想から観想へすばやく移る預言者的特色を持っていたのである。

 このように沈黙のうちに聖書を読む間、特にそれが福音書であるとかキリストご自身が話された言葉の場合、それに接吻するために身をかがめて尊敬のしるしを表わすのであった。ある時は自分の顔をスカプラリオで包んで隠したり、両手で覆ったり、また頭を頭巾で覆い、望みを胸一杯にして愁にみちて泣いていたのである。後、偉い人にうけた恩恵に対して感謝するように尊敬の気持ちをこめて立ち上がり、一礼してから落ち着いた気持ちで平和のうちに読書を続けていた。

(1)詩篇 85,9
(2)出エジプト 3

 町から町へ旅をしている時、特に荒れ地を通る時にはもう一つの祈り方があった。彼にとって休憩とはただ黙想するか観想するのみである。その一方、旅をしながら、仲間たちにこう話していた:「私はあなたを荒れ地に運れて行こう、そしてあなたの心に語りかけよう」(1)そしてあるときは仲間から離れて、先に行くか、あるいは遅れて歩きながら祈っていた。それは激しい火のように祈りに燃え、その間中、まるではえや蚊を追い払うような動作をしているように見えたが、実はそんな風に十字のしるしをしているのだった(2)。この祈りの方法によって、聖人は聖書について豊かな知識と神のみ言葉に関して深い洞察を身につけることができたのだろうと弟子たちは考えていたが、実際このようにして情熱を持って福音を述べる勇気と力を得、また隠されたことを悟らせてくれる聖霊と親密に交わることができたのである。

(1)ホセア書 2,16
(2)十字の印は悪魔を驚かせた

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