Convento de San José
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聖ドミニコの手紙

序文

聖ドミニコは説教者であって、著作家ではなかった。彼はキリストと同じように、書き物による以上に、言葉と行ないによって他の人々に影響を与えた。彼の手になる四つの文書だけが、今日の我々に伝わっている。第一は、説教者会の原始会憲である。この原始会憲は、間接的に彼の考えを反映している。この会憲の言葉は、おそらくサクソニアのヨルダヌスのものであろうが、その考えと規定は、確かに彼のものである。他の三つの文書は、以下に紹介する書簡である。

第一の書簡は、1220年にマドリッドの修道女たちに宛てられた。ドミニコは、1219年にスペインにいたとき、托鉢修道士たちの説教によって修道的召命を呼び起こされた修道女たちに修道服を与えた。そのとき、ドミニコは、彼女らのための修道院を持っていなかった。彼女らは、最初の一年間、おそらく各自の家に住み、托鉢修道士たちの神の奉仕に参加するために、一日に数度、ドミニコの教会に集まったと考えられる。1220年、神父たちは、おそらく聖ドミニコの指示の下に行動し、自分たちの小修道院を修道女らに譲渡し、彼女らが共同生活をして、自分たちの回廊を確立することができるようにした。この出来事が、この書簡の執筆を促した。

第二の書簡と第三の書簡は、ドミニコがアルビジョワ派の支配地域で働いてきたときに、書かれたものである。この二つの書簡は、修道女たちに宛てた第一の書簡と原始会憲よりもはやく書かれたものであるが、我々は、それを後に置くことにした。それは、これら二つの書簡が短く、しかもそれらの書簡の事務的な性格が、後者の二つの文書ほどに聖人自身の思想を明確に反映していないからである。これら二つの書簡の内の最初の書簡は、ポンス・ロジャー(Pons Roger)にドミニコが課した償いの項目を載せている。ポンス・ロジャーは、「完成者」と呼ばれたアルビジョワ派の階級にかつて属していたが、真の信仰に回心した人物である。二番目の書簡も、同じアルビジョワ派からの回心者に宛てて書かれた。この書簡は、信者の現世的福利にも向けれたドミニコの配慮を映し出している。一般に、幼児期からカトリックであった者たちは、アルビジョワ派からの回心者たちへの対応が遅かった。トゥールーズの毛皮商人オットリヴのレイモンド・ウィリアム(Raymond William of Hauterive)は、その時、顧客を失いかけていた。なぜなら彼は、回心前はアルビジョワ派であることが一般に知られていたウィリアム・ヒュー(William Hugh)を雇ったからである。かつてウィリアム・ヒューは、この派に特徴的な衣服を身に着けていた。このことに関して、レイモンド・ウィリアムは、ドミニコに二つの質問を提起した。(1)償いの状態にあるウィリアム・ヒューを雇用することはできるのか。(2)もしも雇用することができるとして、この状態を示すこと(たとえば、回心した異端者であることを表示するために十字架のしるしを付けること)をこの男にさせるべきなのか。書簡から明らかなように、ドミニコは、前者の質問には肯定的に答え、後者の筆問には否定的な回答をしている。

 (1). 朱門岩夫訳-1999.

1. 聖 ドミニコの 手紙 (一)

説教者たちの指導者、托鉢者ドミニコから、マドリッドにある敬愛する女子修道院院長様および修道女の皆さまへ。

あなた方の聖なる生活の故に、そして神があなた方をこの世の腐敗から解放してくださったが故に、わたくしは大いに喜び、神に感謝しております。娘たちよ、粘り強い断食によって、太古の悪霊に立ち向かいなさい。なぜなら戒律に従って努力する者だけが、栄冠を受けるからです。もしもあなた方が現在に至るまで、修道生活を送るべき場所を持たなかったとすれば、あなた方に弁解の余地はありません。なぜなら神の恵みによって、あなた方は修道生活を送るのに充分適した建物を得ているからです。わたくしは今から、禁域で、食堂で、寝室で、礼拝堂で、沈黙が守れら得ることを望みます。そしてあなた方の戒律がその他すべての事柄において守られることを望みます。説教のため、あるいは視察のために来られる司教やその他の高位聖職者を除いて、誰も門を出入りしてはなりません。苦行や徹夜を免れることはできません。あなた方の修道院長に従順でありなさい。お互いに駄弁を慎みなさい。あなた方の時間を会話に費やしてはなりません。

わたくしは、俗事に関してあなた方を助けることはできませんから、志願者を受け入れる権限をいかなる托鉢者たちにも与えたくありません。ただ修道院長が、彼女の共同体の顧問会に諮った上で決めてください。またわたくしは、托鉢者マンネス(Mannes)に命じて――彼は、これまで非常に熱心に働き、あなた方をこの祝福された状態に結び付けてくれました――、あなた方がもっとも修道的で、もっとも聖なる生活を送ることができるように、万事を彼のよしとするままに整え、処置するように命じました。さらにわたくしは、視察し、矯正し、修道女たちの過半数の同意を得た上で、(必要とあらば)修道院長を更迭する権限を彼に与えました。そしてわたくしは、彼が適切と判断する場合には、幾つかの事柄において免除を与える許可を彼に与えました。

キリストにおいてご機嫌よう。

2. 聖 ドミニコの 手紙 (二)

説教者の中でもっとも小さき者、オスマの参事会員、兄弟ドミニコが、この手紙を受け取るすべてのキリスト信者に、キリストにおいて挨拶を送る。

わたくしにこの任務を与えた使徒座の特使、シトー会修道院長の権威によって、わたしは、この手紙の持参人、ポンス・ロジャー――彼は、異端の派閥から神の憐れみによって改宗した者である――に回答する。

授けられた秘跡によって、わたくしは、三つの主日ないしは主要な三つの祝日に、一名の司祭が、彼を腰まで裸にして、絶えず鞭打ちながら、町の入口から教会まで歩かせるように命じる。さらにわたくしは、彼が、肉、卵、チーズ、その他、肉の種から生まれたすべてのものを常に控えるように命じる。ただし、復活祭、聖霊降臨祭、降誕祭の主日は、この限りではない。わたくしは、これらの日には、この者の以前の誤謬の拒否の証として、これらのものを食するように彼に命じる。彼は、断食をし、魚を控えることによって、毎年、三回、四旬節を守らなければならない。彼は、毎週三日、絶えず断食し、魚、オリーヴ油、ぶどう酒を控えなければならない。ただし、身体的な衰弱や夏の暑さが必要な免除を求める場合には、この限りではない。彼は、様式においても色においても宗教的な衣服を着用すべきである。この服は、胸と背中の両方に、それぞれ小さな十字架が縫い込まれていなければならない。時宜に適っていれば、彼は、毎日、ミサに与り、主要な祝日には、晩課のために教会に行くべきである。彼は、どこにいても、次のように日夜すべての[聖務]日課を唱え、神を賛美すべきである。日に七度、彼は、主の祈りを唱えなければならない。ただし昼は、それぞれ十回唱え、夜半は、それを二十回唱えるべきである。彼は、完全な貞潔を守るべきであり、トレベイユに住まなければならない。彼は、毎月、この手紙を、自分の教戒師に見せるべきである。さらにわたくしは、教戒師に、彼の生活を注意深く監督するように命じる。この監督は、使徒座の特使が、これらの件に関して別様に取り計らうまで続けられねばならない。もしもこの者がこれらの指示の遵守を拒むなら、わたくしは、彼が、偽証者であり、信仰者との交わりから絶たれる異端者であると見なされるように命じる。

3. 聖 ドミニコの 手紙 (三)

謙虚な説教者、オスマの参事会員、兄弟ドミニコが、この手紙を受け取るすべての信者に、主において、挨拶と親愛なる愛情を送る。

この手紙の権威によって、あなた方の共同体の賢明な判断が次のことを知りますように。わたくしは、毛皮商人オットリヴのレイモンド・ウィリアムが、ウィリアム・ヒュー――彼はかつて、わたくしにみずから告白してくれたように、異端者の衣服をまとっていた――をトゥールーズにある自分の家に、他の人々と同様に住まわせる許可を与えた。このことは、枢機卿が、わたくしに、あるいは彼に、別の命令を明示的に下すときまで有効である。ただしこの許可が、上記のレイモンド・ウィリアムに汚名や非難をもたらす場合には、その限りではない。

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