Convento de San José
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ドミニコ会と聖母マリアへの崇敬

聖パウロは救いの神秘を次のごとく見事にまとめあげました。「時が満ちると神は御子をつかわされ、一人の女性から生まれさせました。それは、罪の下にある人々をあがない出すためであり、また人々が神の子としての身分を頂くためである。」(ガラチア、4.4)この女とは、ご存じの通り、救い主の御母であり、すべての人の霊的な御母である聖マリアです。

「マリアは御父の最愛の娘であり、聖霊の住まわれる場でした。マリアはこのような恵みのために、天上且つ地上のすべての被造物よりはるかに優れている」と教会は、各世紀の信者に教え、又聖母マリアへの崇敬をいつもすすめています。「教会の人」であったドミニコは、教会の声に耳をかたむけ、創立した会のメンバーが聖母マリアに対する崇敬を深めることを望みました。本会のメンバーが「わたしは神と聖母マリアと聖ドミニコに・・・従順であることを約束します。」と誓うほどです。

聖母マリアへの崇敬を深めるように教会は昔から数多くの信心をすすめてきました。その中でも最も親しまれているのは「ロザリオの祈り」です。ところでロザリオの祈りとドミニコ会は、密接なきずなで結ばれているのですが一体なぜでしょうか。「ロザリオの祈り」と「ロザリオとドミニコ会」という二つの題に従って、考えてみたいと思います。

1.ロザリオの祈り

ロザリオの祈りの中心は聖母マリアよりもイエズスです。これを聞きますと、不思議に思う方がいるかもしれませんが事実です。ロザリオの祈りの内容を考えてごらんなさい。すぐにご理解いただけるでしょう。内容は、救いの神秘ですが、これは特に三つの出来事に基づいていてイエズスの受肉(喜びの玄義)、イエズスの受難(苦しみの玄義)、イエズスの復活(栄えの玄義)であります。

だからと言って、聖母マリアとかかわりがないのではと思ってはなりません。イエズスの受肉、受難そして復活のこれらの出来事を最も熱心に観想し、最も深く悟ったのは、聖母マリアの他にはいらっしゃいません。聖母マリアは十字架のそばに立たれて、イエズスのみ心を示しながら、「これほど人々を愛したこの心は、その返礼として忘恩しか受けませんでした。我が子が完成した救いの神秘を黙想し、感謝する人は少ない。あなたはいかがですか。」というような言葉をもってわたし達を招いておられます。

ロザリオの祈りの内容のすべては、聖書から借りたものですから、「福音的な祈り」と言われています。フィリッピへの手紙(2、6~11)は、ロザリオの玄義を次のようにまとめています。

喜びの玄義、「キリストは神の身でありながら、神としての在り方に固執しようとはせず、かえって自分を空しくして、しもべの身となり、人間と同じようになった。苦しみの玄義、「その姿はまさしく人間であり、死に至るまで、十字架の死に至るまでへり下って従う者となった。」

栄えの玄義、「それゆえ、神はこの上なく彼を高め、すべての処にまさる処を惜しみなくお与えになった。こうしてすべての人は、”イエズス・キリストは主である”を表明し、父である神の栄光を輝かす。」これによってロザリオの祈りがどれほど福音的な祈りであるかを知ることができましょう。

これを黙想すればするほど、救いの神秘の尊さ、深さ、広さを悟ることができると思います。黙想なしには、ロザリオの祈りは魂のない体と同じであり、ロザリオの玉をつまぐることだけでは、お題目の繰り返しにすぎません。救いの神秘を黙想せずに、ただコンタツの玉をにぎりながら「アベ・マリア」をくどくど唱えるならば、「異邦人のように無駄言を云ってはならない。彼らは、言葉数さえ多ければ、聞いれられると思っている。」というイエズスの戒めが避け難くなってしまいます。

2.ロザリオとドミニコ会

教会は、昔からフランシスコ会が「十字架の道行」を、ドミニコ会が「ロザリオの祈り」を広く皆に伝えるよう望んでいました。それはこれらの会が生んだ各信心だからです。

ロザリオの祈りを生んだのはドミニコ会であると言われていますが、本当でしょうか。

聖母に対して深い信心をいだいていた15世紀のドミニコ会士、アランド・ラローシュはドミニコ自身が特別の霊感に恵まれ、ロザリオの祈りを考え、この信心を拡げたことを主張しました。ラローシュによりますと、ドミニコはプルイユ、ファンジョー、ナルボンヌ、ベジェーなどの町々を廻り歩き、異端者に出会って、彼らの熱心さにびっくりさせられました。失望したドミニコは、ある日、「聖母マリアと共に戦いましょう。必ず、勝利を得るぞ」と言って、「ロザリオの祈り」という霊的な武器を考え出し、これをもって異端者と戦いました。こうして異端者に打ち勝ったドミニコは、聖母マリアに栄光を帰し、強力なロザリオの信心を拡げることを決心したそうです。

美しいことですが、しかし歴史と関係のない物語りです。あらゆる信心が一度で出来上がったまま、人間の頭と心より出るものではなく、小さな種子のように先ず芽生え、ゆっくりと成長し、実を結ぶのです。ロザリオの信心も例外ではありません。2世紀から12世紀まで、聖母マリアへの崇敬はあまり目立たないものでしたが、不思議なことに、この崇敬は12世紀ころの世俗的な慣わしの一つの影響で、盛んになったと言って良いかと思います。

当時のヨーロッパの諸国の境が現在と違い明らかになっていませんでした。このことが多くの戦争の原因となり、各国の王は自分の国土を守るため予備軍の制度を定め、軍人の中に騎士とされた人もいました。戦争がおこると騎士と軍人は王の経理官の下で訓練を受け、その後家に帰って一時休みました。そして、戦争に行く前に、宴会を開き、その間に騎士は相手(妻、婚約者)に、バラの花束やバラの冠をプレゼントし、忠実を誓いました。聖母マリアへの崇敬を示す「ロザリオの祈り」は、この世俗的な習慣から出たと言われています。と言いますのは、騎士が相手に忠実を誓うのと同じように信者は、ロザリオの祈りをもって、聖母マリアに忠実な心をあらわしました。「ロザリオ」とは、バラの花束を意味します。ロザリオの祈りは聖母マリアに捧げるバラの花束です。これは、アベ・マリアの霊的な花束は勿論ですが、物質的な意味も含まれています。それは。バラの月、5月と10月に信者達は、自分の家の庭に咲いたバラを束ねて、外出の途中など道端にある聖母マリアのご像の前で、手に持って来たバラの花束を捧げて飾るのです。

ラローシュが語ったことは大分違っているのではありませんか。ロザリオの信心をつくったのは、ドミニコよりも当時の信者達でした。そしてこの信心の形を一番発展させたのは、おそらく当時はやっていた巡礼でありましょう。中世時代、祝日が多く、例えば、イエズスの祝日をはじめ、聖母マリア、聖ヨゼフ、使徒達、各地の保護者や各教会の聖人の祝日、そして日曜日を含めて年間の三分の一は、休日だったと言っても過言ではありません。その余暇を、信心深い信者達は、スペイン、イタリア、フランスなどの国にある多くの聖母マリアの聖堂を訪れる巡礼を組織しました。長い旅の疲れを忘れることと共に聖母に対する信心を表すため、歩き乍ら聖歌を歌ったり、アベ・マリア(めでたし)を何度も何度も繰り返しつつ、進んで行きました。

しかし、繰り返すことだけでは退屈になったり、機械的な唱え方になる危険が生じるのをおそれたドミニコ会の会員達は、救いのみ業に関する主な出来事(お告げ、イエズスの降誕、受難、死去、復活、昇天、聖霊降臨、聖母の被昇天など)を15玄義に分けて各一連の間に一玄義を黙想することを考えました。これは非常に大切な点であり、その時から、本会は、ロザリオをもって、み言葉を宣教しはじめました。

巡礼は長い旅ですから、その休憩所として、道端の十字架や聖母マリアのご像のところで休みもした。巡礼者達は、このような場所でかつて戦争へ行く騎士が、バラの冠や花束をもって相手を喜ばせたと同じ様に、野原の花を摘んで冠や花束をつくり、幼な子イエズスを抱いている聖母マリアのご像を飾りました。このようにして、徐々に「ロザリオの祈り」という信心は拡められ深まっていきました。

ドミニコ会の会員達はこのような巡礼者達を励まし世話をしてきました。実に、この信心がまとまった形となるために数世紀がかかりました。先程言ったようにこれを通して、救いの神秘を宣言することが出来ますからドミニコ会は、これを大切にし、益々拡げるように真剣に努力してきました。それ故昔から「ロザリオの祈り」は、ドミニコ会が生んだ信心であると言われています。実際、ドミニコ会において、聖母マリアへの崇敬は初期から深く根を下しているのです。

これについてドミニコ会における一つの習慣がここにあります。会員達は、晩課を唱えた後、行列をつくって、サルべ・レジナ(天の元后よ、おめでとう)と歌いながら修院や中庭にある聖母マリアのご像を囲んで、ほめたたえるのです。この聖母マリアに対する崇敬は、ドミニコ会において、すばらしい賜です。

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