Convento de San José
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ドミニコ会と福音勧告

ドミニコ会と 福音勧告 1. 貞潔の誓願
2. 清貧の誓願
3. 従順の誓願

イエズスは弟子達を呼び寄せて仰せになりました。「わたしの後について行きたい者は、おのれを捨て、自分の十字架をになって、わたしに従いなさい。」(マ.8.34)この「イエズスの後について行く」ということは、福音的勧告と呼ばれます。これは一般的な修道生活の土台であり、ドミニコ会が例外ではありません。この、福音的勧告は、三つの誓願に基づいており、これについてドミニコ会の会憲は次のように述べております。「我々は、キリストの後を辿りながら神と隣人への愛の完成を計るため誓願の宣告をもって本会に加入し、『聖アウグスチヌスの戒律』と本会の会憲を導奉し、従順、貞潔、清貧の三つの誓願の実行を通して、神に対して全面的に自己を奉献する。」(4番)

一方、会員のたてる誓願は、すべての会と同じものですが、他方では他の会の霊性とドミニコの霊性は違いますから、わたし達の誓願が本会の固有の霊性に色づけられていると言っても良いでしょう。では、各誓願について少しづつ考え、その特徴を見出し乍ら、ドミニコ会における福音的勧告を味わいましょう。

1.貞潔の誓願

これは二つのものより成り立っています。一つは貞潔の誓願と神とのきずなであり、もう一つは貞潔の誓願と共同生活のきずなです。

※貞潔の誓願と神とのきずな

「復活の時、めとることも、とつぐこともなく、天使と同じようである。」(マ、22.3)と聖書にありますので、結婚生活よりも童貞生活の方が、より優れているように思われがちですが、童貞生活は、天国において、おそらく最もふさわしいものでしょうか、この地上を旅する限り、どうでしょうか。

これについてわたしは勝手な意見を言わせていただきます。配偶者は誓いの言葉によって無条件に互いに渡し、互いに受取るのです。修道者は誓願によって、身も心も直接神に捧げるのです。すべての人間の目的は、天上においても地上においても、神と共に生きることであり、神は真面目にこの目的を全うする人を既婚者であれ、童貞者であれ、祝福して下さるのです。それ故、どちらが優れているということよりも、神の思し召しは、与えられた使命を立派に果たすことにあるとわたしは思います。両方とも、神からの賜です。

結婚生活について語っている聖パウロは「この神秘は偉大である。」(エフェゾ、5.32)と言い、童貞生活について語っておられたイエズスは、「天の国のために進んで結婚しない者がいる。これを受け入れることが出来る者は受け入れなさい。」(マ、19.12)と言われました。「神の国のために・・・」という表現を大切に考えてみて下さい。独身は能率的だとか、み言葉を宣言するためにもっと自由になれるとか、又は、「キリストにとらわれた」という体験がありますから、もはや心を人(配偶者)に分ち合う余地がないとかなどはまだあやしいことです。

実は童貞性の最も深い理由は、「神の国」が必ず来るのを、前もって証しするためです。世の終りに「復活の時、人がめとりもせず、とつぎもせず、天にあるみ使いと同じようになる」ということの証しです。つまり地上の一般の生活は、人間が結婚生活を通して人類の繁栄のために働くことであり、童貞性は天上の状態を示す態度です。貞潔の誓願によって全うする童貞性は、「天上」、あるいは「天の国」がいつか来ることを予め示す終末的な証しです。

これを本会の会憲は、次のようにまとめています。「会員によって誓約された貞潔の生活はすでに地上に現存する神の国に対する強力な奉仕であり、その雄弁な証しであると同時に、未来の天上の状態の特別なしるしです。その国においてキリストは栄光に輝く教会を、ご自分のために美しく装った花嫁として示されよう。」(15番)

※貞潔の誓願と共同生活のきずな

修道者が公にたてる貞潔の誓願、実に人間の本性に関する最も深い趣と密接に結ばれているのです。それは「父」となり、「母」となるという本性的な趣きとして、人間の本質に深い値を下したものです。貞潔の誓願によって、言わゆる本性的な趣きが破壊されるなら人間は身にも心にも深い傷をうけるのであり、又この趣きを強制的にコントロールするなら遅かれ早かれ、心身共に落ちつくこともできず、個性は壊されてしまいます。イエズスは決してこの本能的な力を破壊することを、求めてはいません。イエズスが修道者達に要求されるのは、天の国を証しすることのみです。このすばらしい力である本能的傾向を結合し、親が子に、兄が弟に対してあらわすのと同じような寛大さ、責任をもって神の国の発展のために努力することです。

この本能的傾向を浄化し、身体的・心理的成熟の達成に至れる筈です。貞潔をより深く、より高く根づかせるために、兄弟姉妹に積極的養成手段が与えられ、誓願にそむく危険を効果的に超えて、本人が自発的に働くことができるように導かれたいものです。童貞性を守るために特に三つの手段が必要です。先ず、神の助けを求めることです。この助けがなければ何もできません。わたし達は上からの光、指導の恵みをへり下って願いましょう。次に会員各自の努力をあらわすことです。自分の力がどんなに小さいものと思っても、そのエネルギー、努力が必要で神の前に価値があるのです。最後に兄弟姉妹からの援助です。貞潔の誓願をよりよく守るため、神に奉献された独身生活を人格全体に受け入れるもので、会全体はこの責任を受けるべきです。

人間は孤島ではありません。人には家族が必要です。結婚生活にしろ、修道生活にしろ共同生活の家族がいります。各修道者は、一家族のメンバーとして喜びや苦しみを分ち合い、使徒的働きにおける友愛の実践をすることによって、一層貞潔のきずなでもって結ばれるのです。入会と共に自然的な家族を残し、新しく頂いた霊的な家族のメンバーと共に、神と聖母のみ前に歩むことで、このような力を受けるのは、修道者のたてた貞潔の誓願です。「聖アウグスチヌスの戒律」が言っている「あなた方は互に貞潔を守り合いなさい。」という言葉はその意味なのです。

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