Convento de San José
Sei Yosefu Shudoin
Kinuyama 5-1621-1, Matsuyama-shi, Ehime-Ken 791-8025, Japan
Tel. 81 89 926 1171
E-mail.sanjose_japan@yahoo.com

聖ドミニコ修道会ロザリオの聖母管区四百年史(1587-1987)

ローマ修道院

永遠の都ローマの中心地、スペイン広場の近くに管区所有の修道院がある。この建物は1733年に三位一体会の修道院として建てられたが、1891年、スペイン国王フェリペ五世の所有となったものである。1895年5月31日、三位一体会の最後の総長代理でありスペイン王と政府の全権大使であるべノマール伯爵マルチン・イ・ビエネス神父の遺言により管区に移譲された。移譲の条件は聖トマス・アキナスの教説を純粋に教える学院とすることであった。そこで管区は東洋に向かう宣教師たちに哲学、神学、教会法の学位を取得して高度な準備をさせる学院を設立した。またマニラに本部を置く管区が、ローマにこの「聖三位一体修道院」を持つことにより、ローマ教皇庁やドミニコ会総本部と宣教活動に関する事務処理をするのに都合がよくなった。

香港のサン・アルベルト・マンノ修道院

19世紀、東洋貿易の主役がポルトガルからイギリスに代わるが、それに伴いマカオの占めていた重要性は新しいイギリスの植民地、香港に移った。台湾、中国、トンキンにおける宣教活動に重要な役割を果たしてきたマカオの管区事務所も香港へ移転することになった。1860年10月1日、管区は香港に小さな家を求め、そこに管区事務所を開いた。

1921年以来、管区長セラピオ・タマヨ神父は、スペイン共和政権が課する兵役の義務を避けて、アメリカ合衆国ルイジアナ州ロザリービル修道院にいる修練者や学生修道者を香港に移すことを計画していた。合衆国がヨーロッパ系移民を制限する法律を出したために修道者を米国に入国させることが困難になったことや、土地の不健康な気候、若い学生の宗教教育にとって望ましくない環境のため、また経済的な理由からこの計画が考えられてきた。それに東洋宣教を志す者たちの養成が東洋の地で行われることが望ましいことであった。

この計画は1931年の管区会議で承認され、香港にある管区事務所のバケロ神父は香港司教エンリケ・バルトルタとの間に必要な手続きをとり、適当な土地を求めた。1935年11月4日、修練院、哲学院、神学院を備えたサン・アルベルト・マンノ修道院が開院して、合衆国、フィリピン、スペインから修練者や学生修道者を迎えたのである。アビラの修道院からきた50名の者が到着したのは、スペイン内乱が始まる2カ月前のことであった。後には日本、中国、フィリピン、ベトナム、セイロンからやって来た東洋人志願者のための養成所として重要な役割を果たすことになった。

1959年、この修道院は管区本部のあるフィリピン・ケソン市のサント・ドミンゴ修道院に移転し、学生修道者はマニラ・サント・トマス大学の哲学部、神学部でより高度な研究をすることになった。現在、この修道院の建物は撤去され、その跡には8階建ての校舎が造られ、管区の経営する「ロザリーヒル・スクール」となった。幼稚園から短期大学までの生徒、学生5千人を擁する一大学園である。

Copyright (C) dominico. All Rights Reserved.