Convento de San José
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日本における宣教

(23)高松地区の宣教

昔から香川県は真言宗の開祖弘法大師の生れた所で、仏教の影響が強い上に、全国から巡礼者がやってくる琴平宮があって、キリスト教はなじみ難い土地柄である。1892(明治25)年5月、県都である高松にやってきたアウリエンティス神父は1人の伝道士を任命して宣教にあたらせ、何人かの受洗者を得たが、ドミニコ会が来た頃には宣教の痕跡は残っていなかった。
1917(大正6)年の末頃、フアン・カルボ神父は香川県における宣教を始めるために松山から高松にやってきた。まず、1軒の家を借りて住みつき、宣教に適した場所を探した。そして市役所の裏手の四番町に和風の家数軒と洋風の家が建っている土地をまとめて購入し、「ロザリオの聖母」に捧げた仮教会と住居を整えた。こうして1921(大正10)年から本格的な宣教を始めたが、当時、市内には他の町から転入してきた1人の信徒と坂出市国分に1家族の信徒がいるだけであった。この年、モデスト神父が着任し、1923(大正12)年からカトリック雑誌 「小羊」を創刊した。後に、邦人ドミニコ会士渡辺吉徳神父、ヴィセンテ神父、山本吉見伝道士の協力によって編集された。「小羊」は全国のカトリック信者から受け入れられたが、1941(昭和15)年12月、軍部の強力な思想統制と印刷用紙の入手が困難となり、廃刊させられたのである。
また、まわりに豪壮な寺院が立ち並ぶ中で老朽化した教会の建物を取壊し、新しい教会堂が完成したのは1929(昭和4)年3月であった。

(24)教区長の交替

アルバレス教区長が病気療養のためにスペインに帰国した間、フアン・カルボ神父が教区長代理を勤めていた。1931(昭和6)年5月、四国教区長の職務を辞任したアルバレス師の後任に台湾教区長となっていた卜マス・デ ・ラ・オズ神父が四国教区長も兼任することになり、翌年7月に着任した。この年の11月6日、新教区豆長は至聖ロザリオ管区長リカルド・マリア・ヴァケロ神父と四国 宣教のやり方について基本的な契約を結んだ。それによって「今後四国教区は四国における宣教と祭式の経費を負担する。至聖ロザリオ管区は宣教師の生活維持とその他の必要経費の負担を続ける」ことになった。またその中で教区の高位聖職者(教区長とその代理者)が宣教に必要な土地、建物、諸施設の経済的管理の第一責任者であり、管区長代理はその下で修道会に直接関係することのみについて責任を取ることになった。これにより、教 区長は修道会と協議し、同意の上で事を処理する制約があるとしても、教区長の指導的立場が明確にされた。ここに新しい四国宣教の歩みが始まったのである。

(25)宣教師たちの去来

前述のとおり、アルバレス教区長がスペインに帰国したが、それ以前にアルバス、ファウスチノ両神父はマニラに帰ってしまった。またトマス・デ・ラ・オズ神父は台湾教医長に任命されて四国を去り、フアン・カルボ神父は「日西辞典」編纂を完成させるために東京に滞在していた。手薄になった四国宣教のために、新しい主教師が次々と来日している。クラウディオ・ニエト(1913年)、モデスト・ペレス(1916年)、マカリオ・ルイス(1918年)、アントニオ・グチェレスとシリロ・イグレシアス(1926年)、ピオ渡辺吉徳(1929年)、ドミンゴ・レデスマ(1930年)、ヴイセンテ・ゴンザレス、マルシアノ・ディアス(1933年)、オレンシオ・ペレス、セルヒヨ・サンタマリア(1939年)の諸神父が太平洋戦争前に来た人々である。

(26)二代目教区長オズ師の時代

新教区長にとって、マカリオ神父が開拓した今治教会を充実させることが最初の仕事になった。1932(昭和7)年末、教区が支出した資金で国鉄今治駅に近い宝来通りに土地を求め、小聖堂、伝道士や賄い婦の住居、幼稚関舎の建築を始めて翌年に完成した。
高知県赤岡にも土地を購入し、教会、司祭館、幼稚園が新設されて、ドミンゴ神父が初代主任司祭として着任した。ここは1923(大正12)年牧山粂吉伝道士によって土地の名士が受洗したことから、高知の宣教師が巡回伝道を始めた所である。
徳島県池田でも既設の幼稚園に、教会と伝道士や賄い婦の住居が増築された。このように教区内の諸施設の充実は著しいものが見られた。
一方では管区長の命令で、1934(昭和9)年4月、高知の大きな地区本部修道院にドミニコ会修道女第三会の修練院を開設し、3人の修練女がトマス・デ・ラ・オズ教区長より着衣し、別の3人が志願女として受け入れられた。3人の修練女のうちの1人は聖カタリナ学園理事長のシスター・ローザ上妻である。しかし、間もなくドミニコ会修道女第三会が至聖ロザリオ管区の管理下より独立して「聖ドミニコの宣教修道女会」となったので、この修練院は松山に移転することになった。

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