Convento de San José
Sei Yosefu Shudoin
Kinuyama 5-1621-1, Matsuyama-shi, Ehime-Ken 791-8025, Japan
Tel. 81 89 926 1171
E-mail.sanjose_japan@yahoo.com

日本における宣教

(50)愛媛地区にある聖ドミ二コ会の家族

聖ドミニコ会修道会は3つの家族からなる。神父と修道士からなる第一会、観想修道女たちの第二会、活動修道女会員と信徒会員の2つのグループからなる第三会である。それにロザリオの信心会が加えられる。第二会は香川県にあるが、愛媛地区にはないので、それ以外の家族について述べてみる。

「聖ドミニコ宣教修道女会」・・・1633年、至聖ロザリオ管区は宣教活動に女性の協力がいかに大切であるかを考え、マニラに女子修道会の設立を計画した。1686年の管区会議で、承認され、1688年1月11日にドミニコ会総長の許可を得て、責任者となったフアン・デ・サント・ドミンゴ神父は志願者の養成を開始して、翌年、完成した聖 カタリナ修道院において数名の修練女が誓願を立てた。聖アウグスチヌスの戒律、聖ドミニコ会の会憲、至聖ロザリオ管区の規則に従う共同生活をし、管区の宣教活動に協力する修道院である。管区が宣教するフィリピンの各地で女学校や福祉施設の運営に参加した。1859年からは中国福建省に進出して孤児院の世話をしている。1891年にはマドリッドにも修道院が開かれ、スペイン人の志願者が養成された。この2つの修道院から多くの修道女たちがフィリピン、中国、台湾そして日本へ派遣されて、至聖ロザリオ管区の神父たちに協力する姿が見られたのである。
1925(大正14)年、松山の美善女学校創立のために3名の修道女が来日した。この学校の創設資金はマニラの修道院にいたシスター・カタリナ・オスメーニャから寄贈されたもので、現在の校名「聖カタリナ学園」の由来はここから来ている。1932(昭和7)年、リカルド・ヴァケロ管区長の命令で邦人修道女の養成のために修練院が高知に開設され、数名が入会した。
1933(昭和8)年3月14日、ローマ教皇庁の教令により至聖ロザリオ管区から独立して「聖ドミニコ宣教修道女会」となった。管区が新修道会に移譲した「美善女学校」という小さな種から出発した修道女たちの活動は60有余年経った今日、巨大な樹木に成長している。現在、邦人修道女の数は100名を越えており、彼女たちが宣教する場もローマ、沖縄、台湾、韓国、グアムに広がり、日本国内では松山、北条、新居浜、坂出、小豆島、伊丹、岡崎、東京、長崎に修道院がある。教育事業として短大、高校3、幼稚園6、そして女子学生寮3を持っており、福祉事業としては1つの病院、3つの特別養護老人ホームを経営している。このような実状に相応しく、聖ドミニコの宣教修道女会総会議は1982(昭和57)年6月14日に日本地区を独立した管区に昇格させ、初代日本管区長としてシスター ・アルベルチナ丹下令子が選出された。

「聖ドミニコ信徒会」・・・修道女会員が柔順、貞潔、清貧の3誓願を立て修道院生活をするのとは異なり、信徒会員は聖ドミニコ会の修道精神に従って家庭生活、あるいは職業生活をおくり、それぞれの生活の場において宣教を志す者である。
四国でドミニコ会の宣教が再開されて数年後、聖ドミニコ信徒会が高知において創立され、1920(大正9)年に3、4名の会員がいた。1932(昭和7)年には高知に 7名、宇和島に9名いたことが分っている。1938(同13)年、訪日されたドミニコ会総長スタニスラオ・ジレー神父によって会員に受けいれられた邦人司祭が後のフランシスコ田中英吉高松司教である。戦争中の空襲で記録が焼失しているので正確なことは不明である。
終戦後、聖ドミニコ信徒会の組織再建がヴィセンテ神父によってなされ、1949(昭和24)年までに高知、新居浜、宇和島、松山で30名の入会者が記録されている。その年に決定された宣教地区の分割の結果、ドミニコ会は愛媛県のみを担当することになり、至聖ロザリオ管区日本地区本部も第三会本部も松山に移転した。1986(同61)年の統計によれば四国各地での会員数は松山34名、松山以外の愛媛地区12名、高知7名、坂出20名の合計73名の誓願者と1名の修練者がいる。会員で他の修道会に入会した者は23名、帰天者は24名である。
本部が置かれている松山では、顧問―アンドレス・ガルパルソロ神父、会長―マリア伊藤千代、書記―ナチピダ橘智恵子が会の運営にあたっている。主な運動としては松山教会信徒使徒職協議会を構成する一つとして教会活動に参加し、典礼の奉仕、病人や長い間教会に来ない人を訪問するなどである。毎月第3日曜日に定例集会が開かれ、会則の説明、聖ドミニコ修道会の精神、特色、歴史の研究、活動の分担、報告がなされている。1985(昭和60)年にカナダ・モントリオールで開かれた聖ドミニコ信徒会国際大会に2人の姉妹が参加し、新しい活動が始まっている。

「ロザリオ信心会」...13世紀の初め、アルビ派の異端が広まっていた南フランスで、聖ドミニコが正しい教えを宣教していた頃、聖母マリアから「ロザリオの祈りを広めよ。そうすれば多くの人が改心する」とお告げを受けたことから、この信心はドミニコ会士には会祖の遺産とLて大切にされてきた。教会によって公認されたルルドやファチマの聖母が手にロザリオを持ち、人々と一緒にロザリオの祈りをされたことは、この信心がいかに聖母に喜んで受け入れられるかを示す。歴代の教皇はこの信心を推賞して、多くの免償が信心会員に許可された。さらに会員はドミニコ会の功徳にも預かることができる。会員の果たすべき義務は毎週、1週間のうちにロザリオ15玄義を唱えることである。
1604(慶長9)年、長崎で福者モラーレス神父が眼病の治療のために長崎に来て1カ月間滞在していた間、ロザリオの信心についてたどたどしい日本語で説教したら、 2万人のキリシタンがロザリオ信心会に入会し、聖母マリアを通してきびしい迫害にも負けない強い信仰の恵みをいただいたのである。四国でドミニコ会宣教が再開されると、神父たちは高知にある日本地区本部にロザリオ信心会を設立し、1905(明治38)年1月1日、68名の入会を受け入れている。
その後、戦争中の空襲ですべての記録が焼失したので、1950(昭和25)年、ドミニコ会総長マヌエル・スアレス神父からロザリオ信心会設立許可書の再発行を受けた。担当者のヴィセンテ神父がこれまでの会員名簿作製のために各地へ問い合わすと、約1000名の再登録を希望する返事を受けつけている。
1973(昭和48)年10月4日、松山教会に高松教区長田中英吉司教を迎えて「日本に於けるロザリオ信心会創立四百年祭」を挙行し、バリエス神父が編纂した記念誌「ロザリオのすすめ」を配布した。 日本各地にロザリオ信心会の支部が設立されており、長崎教区に4カ所、福岡教区に2カ所、高松教区に5カ 所、大阪教区に3カ所ある。現在は聖ドミニコ宣教修道女会の長崎修道院、坂出修道院、伊丹修道院、岡崎修道院においてロザリオ信心会の活動が盛んになって、会員たちは年に何回かの定例集会を持ち、聖体顕示された祭壇の前で一緒にロザリオの祈りをし、会員同士の親睦を計っている。これまでに入会した会員の総数は約2000名である。

Copyright (C) dominico. All Rights Reserved.