1981(昭和56)年2月24日より3日間、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が訪日された。歴史的な出来事である。愛媛地区信徒代表菅不二男氏が東京で教皇に謁見、また広島と長崎を訪問される教皇を歓迎する集会に多くの信徒が参加Lた。松山教会では周辺の諸教会に呼び掛けて巡礼団を組織し、長崎での歓迎集会に参加した。大雪できびしい寒さの日であった。訪日に先立ってフィリピンを訪問された教皇は、2月18日マニラのルネタ公園に集まった200万人の大群衆の中で、17世紀に長崎で殉教した至聖ロザリオ管区の16名を福者の位に列せられた。愛媛地区からもサトルニーノ地区長と3名の神父、3名の修道女、4名のドミニコ信徒第三会員が列福式に参加する喜びを味わった。
多くの喜びと共にまた悲しみのあるのがこの世の常であるが、1983(昭和58)年5月20日、田中英吉司教が帰天された。宇和島出身で聖ドミニコ第三会員である司教は常にドミニコ会にとって古い友人、協力者、そしてよい指導者であった。四国の宣教のために司教と共に働いてきたドミニコ会士達も年老いて、多くは故国スペインで天の故郷へ召された。しかし生涯を捧げた四国で司祭叙階50周年を祝い、愛する信徒に見送られて四国の土となった神父たちが何人かいる。ミリャン(1942年帰天)、マカリオ(1968年帰天)、モデストとアントニオ(1978年帰天)の諸神父の墓が衣山のカトリック墓地にある。
この衣山のカトリック墓地はドミニコ会の神父と修道女、松山教会と道後教会に所属する信徒のために使用されている。これまで土葬であったが、松山地区の信徒数の増加に伴い、火葬に改めて納骨堂建設が計画された。1981(昭和56)年3月、信徒から寄せられた浄財2千万円で132の納骨箱を持つ納骨堂と50名収容できる礼拝堂が完成した。
1885(明治18)年、ペトロ深堀達右衛門神父が松山に巡回伝道したことをもって愛媛宣教の嚆矢とする。爾来100年の宣教の歩みを記念して、1985(昭和60)年、松山において記念祭が計画された。愛媛地区信徒使徒職協議会は記念すべき年に先立つ1年を「愛媛宣教百年の特別聖年」と定め、「特別聖年の祈り」を作り、愛媛地区の各教会では毎日曜日ミサ後にそれを唱えてきた。特に松山教会にとっては創立100年祭をも意味する出来事であり、特別な行事を加えた。特別聖年の間、毎日当番になった信徒は聖体訪問をして「特別聖年の祈り」を唱えること、毎土曜日当番になった信徒の家庭でロザリオの祈りをする集会が開かれたことである。また巡礼団を組織して長崎に旅して、愛媛宣教の先達者であるペトロ深堀達右衛門神父の墓に参り、キリシタン時代の殉教者たちの遺跡を訪ねた。さらにローマ教皇ヨハネ・パウロ二世から松山教会創立100年の祝辞をいただいたのは名誉なことであった。 11月23日、教皇大使ウイリアム・アクイン・カルー大司教と深堀敏高松司教、パリー外国宣教会日本地区長ジャン・ワレ神父、至聖ロザリオ管区長の代理ロマン神父、教区内の各地から多くの司祭や信徒を迎えて、聖カタリナ高校白百合館を会場に記念式典が挙行された。午前中は長崎二十六聖人記念館長結城了悟神父の「殉教者の心」と題した講演があり、正午より教皇大使を主祭として48名からなる司祭団の共同ミサが捧げられた。その後で祝宴が聞かれた。この記念祭には愛媛宣教の先達者で、あるペトロ深堀達右衛門神父の長兄の孫にあたる深堀信二氏も招待された。これを記念して愛媛地区信徒使徒職協議会が編纂した「愛媛宣教百周年」と題する記念誌が発行され、その中で愛媛宣教100年の歴史、各教会の現状、興味深い思い出などが紹介されている。
既述した通り、1951(昭和26)年、至聖ロザリオ管区とカナダ管区合同で京都の聖トマス学院に志願者養成所が、仙台には修練院が聞かれて、6名の邦人ドミニコ会士が育ったが、やがてこの養成法は中止され、各管区が独自の養成をすることになった。カナダ管区は東京、京都、仙台という大都会に宣教地を持ち、多くのよい召し出しを得ている。司教1人、司祭10人、修道士3人、神学生2人がおり、東京大学哲学科の助教授や精神科の医者をしている者もいる。養成法としては大学課程を終えた志願者は修道規律が守られている東京・渋谷修道院に集められ、フランシスコ会聖アントニオ神学校で哲学および神学の勉強をする間に京都の修練院で修練期をすませる。それから勉強を再開する。司祭叙階後に各自の能力に応じて外国留学を許可するやり方である。
至聖ロザリオ管区が担当する愛媛県は過疎地であり、少ない信徒数の中からよい召し出しを見つけることは困難である。また修道規律が守られている修道院がなく、修道生活を体験させる場がない。それで小学校課程を終えたばかりの、人生経験に乏しい志願者の養成を福岡教区小神学校に委託して、高校を卒業させる。上智大学哲学科で勉強させた後、スペインにある管区の修練院で修練期を終え、それから管区神学校で神学を勉強して司祭叙階となるやり方であった。1981(昭和56)年には6名の志願者を福岡小神学校へ送っていたが、途中5名が去った。これまでの経験から新しい養成法が必要であろう。管区が日本宣教83年の歴史の聞に養成された邦人ドミニコ会士は5名の神父と2名の修学修道士だけである。難しい問題であるが、邦人ドミニコ会士の養成は大切で、今後、多くの良い召し出しが与えられるように祈り、より一層の努力が待たれる

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